すずわん日記

40代でサラリーマンの限界を感じました。これを良い経験として、この後の人生を楽しく豊かに過ごせるように考えたことを書いていきます。

戦争をしない国を想像してみる事

以前録画していたNHK BSプレミアム「英雄たちの選択」を見ました。

 

 

この回のテーマは日本の首都について。

今現在は、日本は東京を首都にしているけれど、明治維新の時には、大阪を首都にする案、江戸にする案、京都と江戸の二箇所を並列に首都にする案の三択があった、って話でした。

問題は天皇を取り巻く公卿たち。

彼らは徳川幕府が解体したので、その後は天皇と摂関家を中心にした、平安時代のような体制に戻ると期待していたんじゃないか、って。

いや、まさかねー。でも日本どころか京都しか知らない公卿たちの頭の中は、千年前のままなのかも。だとしたら、恐るべし、お公家さんたち。

そして、欧米列強に追いつくための新しい国づくりを目指す大久保利通らにとっては、彼ら公卿は邪魔な存在です。

政治が行われる場である当時の京都御所は、有力公卿の屋敷に囲まれて、政策決定も邪魔されてしまいます。

ならば、新しい首都を決めてそこにに天皇を移してしまって、その周りを新しい政治機関で固めちゃおう、というのが大久保利通の遷都への想いの一つ。

大阪首都案は、最初に大久保利通が起案したけれど、公卿に潰されてボツ。

京都、江戸の首都並列案は、京都にも軸をおいた公卿に遠慮をした案ですが、なんと言っても距離が離れすぎ。今の時代のように新幹線で都市を繋げれば実現可能でしょうけれど。

結局は、郵便制度を作った前島密が大久保に江戸案を提示して、大久保はそれを進めていきます。

その後、明治天皇は東日本も天皇が治めるため、各地に寄りながら行幸という名目で江戸城に入り、その後一旦は京都に戻りましたが、再度行幸をして、そのまま東京と名前を変えた江戸に暮らすようになった、という事です。

つまり、東京が首都だ、という勅許があったり、法律で明文化されているワケではないんですって。

遷都すらも、公卿の反対があると面倒くさくて何にも進まないので、天皇がいる、という事実を優先させて、なんとなーく首都にしちゃった、って感じですね。

番組の最後に、ゲストで出演していた国際日本文化研究センター教授の井上章一さんが、面白い想像をしていました。

この方「京都ぎらい」という本を書かれた、楽しいコメントをするおじさんです。

当時、大阪、京都のヘータイさんは戦争に弱くって、現地の子供達の間にも「またも負けたか8連隊、これじゃ勲章9連隊」なんて歌を唄われていたそうです。

大阪から徴兵された兵隊は8連隊、京都は9連隊。どういう戦争で弱さを見せたかは調べていませんが、大阪、京都の人たちは戦争に弱いという噂が流れても恥とは思う事はなく、歌が子供達にも唄われている。

もしそういう、戦争なんてカッコ良いものではない、みたいな風土を持つ都市に首都が出来ていたら、日本は無茶な戦争を始めるような考えの国にはならなかったんじゃないか?のような事をコメントしていました。

政治や外交、戦争を真面目にかつ論理的に考えてしまっては、今の世の中では平和な世界や国の実現なんて、とても不可能な事だと思います。

でも。そうだとしても。

人が死なないで済んだ過去をたくさん想像して、その教訓を元に、人が死ななくて済む未来をたくさん願う事は、今を生きる我々に必要な事じゃないかな、なんて思います。