スイッチオフ。ゆらゆら流れにまかせる事
不確実で答えがない宙ぶらりん状態に耐えられるか?
ネガティブケイパビリティ。
不確実な答えの出ない状況を受容し、それに耐える能力、らしい。
この前何かのテレビで見てこの言葉に興味を持ったので、本を買って読んでみた。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
- 作者: 帚木蓬生
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/04/10
- メディア: 単行本
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ネガティブケイパビリティは精神医学の分野で発表された言葉だけれども、その言葉を初めて使ったのはイギリスの詩人ジョン・キーツさん。
彼は26歳の若さで亡くなったが、困窮に耐えて、病気に耐えて、それでも愛する人を思い続けて詩を作り続けた人でした。
不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ 、不思議さや疑いの中にいる能力──。しかもこれが 、対象の本質に深く迫る方法であり 、相手が人間なら 、相手を本当に思いやる共感に至る手立てだ
「不思議さや疑いの中にいる能力」
能力と言えば、普通は何かを成し遂げる力の事を言うのだろうけれど、ネガティブケイパビリティはそうじゃなくて、不安定な「その中」にいる事の出来る能力だという。
何もできそうもない所でも 、何かをしていれば何とかなる 。何もしなくても 、持ちこたえていけば何とかなる
とか、
どうにもならない宙ぶらりんの状況でも 、持ちこたえていけば 、いつかは好転するはずです 。それも 、私たちの脳に 、希望に向けてのバイアスがかかっているからでしょう 。
なんて事が書かれています。
そしてネガティブケイパビリティは、早急に答えが出なくても問題となる「それ」を追求し続け、その結果「それ」をより深く知る事が出来る。例えば「それ」の対象が人間であればその人間を深く知る能力としています。
ジョン・キースはシェイクスピアはネガティブケイパビリティを持っているとしました。だからこそ他人がどのように考えているかを表現した素晴らしい作品を作れると。
詩人、小説家、精神科医・・・
詩人も小説家も精神科医も、結論を出すに為に確たる確実な手法がある職業ではない点が似ている存在としています。精神科医であれば答えのない患者の様々な事情を一緒に考えるし、小説家であれば100%主人公がゴールに向かって意のままに動くわけではない中でストーリーを書いていく。どちらも答えのない状況に耐えて前に進む。なのでネガティブケイパビリティの要素があるんだとか。
例としてシェイクスピアの作品ではリア王と3人の娘の度重なる裏切りや不幸な出来事、また作者は紫式部にもネガティブケイパビリティがあるとし、源氏物語の現代だったら不貞な出来事の数々を淡々と述べていました。まぁその辺は本としてはちょっと中弛み感はあったけれども、ネガティブケイパビリティについては少しわかったような気がする。
ネガティブケイパビリティ体験済み
嫌な事があっても抗わずスイッチオフをして受容し状況に耐える。振り返ってみれば、20代、30代の頃はこのスイッチオフが比較的簡単に出来ていた事を思い出した。嫌な事があったらすぐにスイッチオフ。自分の気持ちを振り返らずに、ただただ目の前の出来事に向き合う。それが解決出来ても出来なくとも。そのうち嫌な事は過ぎ去ってている。そんな反応が出来ていたように思う。
そして、そのスイッチオフをする時は、司馬遼太郎の「関ケ原 下巻」のあるシーンを思い出していたりした。
・・・戦い序盤。優勢な西軍の島左近隊に崩された黒田長政隊が退却した後、次に現れたのは東軍の田中吉政隊3000人。そこに島左近隊が突撃。
この突撃が尋常のものでなく 、士卒の顔はことごとく発狂寸前の相を帯び 、死を怖れる者が一人もない 。 「相が 、そろっている 」田中兵部大輔吉政は 、馬上でおぞ毛をふるった 。
もう超ノリノリになって突撃してくる島左近隊をみた吉政は「ヤバっ!」となったのです。
吉政はおもった 。吉政は年少のころ銹槍一筋をかかえて近江の小豪族である宮部善祥房に身を寄せて以来三十余年のあいだにかぞえきれぬほどの戦場を往来し 、敵味方の兵気を見る点ではたれよりも老練であった 。 (こんな相手とまともに戦えば怪我が大きくなるばかりだ )と思い 、あとへあとへと押されてゆく自隊の兵をいっさい叱咤せず 、力を抜き 、自然にまかせている 。そのうち吉政の隊は二 、三丁も退却してしまっていた 。
士気が違う、勝てない、被害が出る、これはヤバイと思い、彼の経験値での最善策が自然にまかせるという判断になったのだろう。
そこで吉政、スイッチオフ。
このままでも東軍が勝てそうなので、属しただけで良しとしよう、と。実際、東軍は勝利。
これを今にして思えばネガティブケイパビリティだったと考えるのです(勝手に)。
頑張らなくても得られる事がある
若い頃は山があったら登る、川があったら泳ぐ、なんていう前向きな生き方を理想としていました。けれど歳を重ね、鬱、脳梗塞など色々な経験をして自分を大事にしようと悟った今では、山があったら裾野を迂回し遠くから山を眺めながら進む、川があったら渡れる橋を探して下流までどこまでもテクテク歩いてみる。橋が無かったら今度は上流に向かって歩いてみる。その余分と思われる道程の中で、人を知り地理を知り文化を知る。
そんな感覚で生きても良いじゃない。
最後に、意外な効能を発見。
何かに直面して困った時、南無阿弥陀仏、と同じように、ネガティブケイパビリティ、、、、と唱えてみたら、少し気持ちが楽になった。