すずわん日記

40代でサラリーマンの限界を感じました。これを良い経験として、この後の人生を楽しく豊かに過ごせるように考えたことを書いていきます。

弓道から日常の意識を学ぶ

僕のkindleのライブラリを見ると、仏教に関わる本が7冊ほどあります。

知らないうちに増えていたのですが、振り返ってみれば高校時代に弓道部だったこともあり、弓道と精神的につながりのある禅の考えに、無意識に興味や助けを求め読んでいたのだと思います。

 

まずは楽しく始める

もう25年は弓を引いていませんが、今でもやりたい、と思うほど弓道は面白かったです。

自分の高校は強くはない高校でしたが、顧問の先生は「高校時代の3年間でやれる事は限られているので、とにかく楽しく弓を引いてくれ」という方針で、ガツガツした指導は無し。

そのような中、先輩方は部活に来たり来なかったりしていましたが、僕の同期は仲が良く、ほぼ全員が毎日部活に来て、弓を引いていました。

最高で団体戦が地区予選2位だったかな。

その後の県大会は泊まりでしたが、人生ゲームのボードを持ってくるやつや、さいとうたかをの「サバイバル」全16巻を持ってくるやつもいて、一晩中遊び、もう弓道どころじゃなかったです。やつらのスポーツバックは遊び道具でパンパン。そういう事も含めて、部活は楽しかったです。

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 続けることの意味

就職してから2年後くらいに、一度だけふらっと母校を訪ねて、弓を引かせてもらった事があります。

その時に驚いたのは、僕らの時代には弓道場には屋根が無く、打ちっ放しのコンクリートの上で弓を引いていたのですが、訪ねた時には立派な道場が建っていました。

久しぶりに何本か弓を引かせてもらった後、先生から「あなた達の代が毎日部活に来たくれたので、次の代の子達もそれを続けてくれて、今はうちの学校は強くなったよ。ありがとう。」と言われました。

僕らの卒業後、数年で弓道部は強くなり、弓道場も整備されたようです。

このブログを書きながら調べたら、28年の高総体でも県大会で優勝をして、インターハイに出場していました。しかも2年連続で。

僕は何かを継続する事は今でも苦手だと思っているけれども、楽しければ継続できるんですね。そして、それが誰かの役に立ったり、自分の強さにもなる。そんな当たり前の事を40歳も半ばになり思い出しました。

そして、ありがとう、と言ってくれた顧問の先生から教えてもらった弓のエピソードがあります。

 

弓聖

大正時代から昭和にかけて、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルという人が、日本で弓術家の阿波研造に弓道を習った時の話です。

阿波研造は弓聖と呼ばれたすごい人です。

西洋人のヘリゲルから見れば、弓道はスポーツで、技術は合理的に考えて上達するもの。しかし阿波研造からは「的を狙うな」という教えを受けます。

 当然、ヘリゲルは意味が分かりません。悩んで阿波研造と激論をします。そりゃそうです。日本人の僕だって、弓を2年ちょっと引いただけでは、未だにわかりません。 

通訳を介してでしょうが、精神的なもの、禅的なものですので、阿波研造もヘリゲルを言葉では納得はさせられなかったのでしょう。「ならば今夜一人で家に来なさい」とヘリゲルに言います。

その晩、ヘリゲルは阿波研造の自宅に行きました。阿波研造は真っ暗闇な自宅の道場で、ヘリゲルに的の前に火のついた線香を一本立てさせます。

真っ暗闇の中、阿波研造は一本目を射ち命中。二本目も射ち命中。

ヘリゲルは放たれた矢を取りに、的のところまで行きましたが、驚きました。

一本目の矢は的の中央に刺さり、二本目の矢は、その一本目の矢のお尻に当たって、一本目の矢の軸を削りながら、的の真ん中に刺さっていました。

顧問の先生に教えてもらった話はここまで。的は狙わなくとも当たる、という事です。闇なので狙えませんよね。その後、エピソードが書かれた本を自分で探しに本屋に行きました。

 

やってみない事にはわからない

本を買って読み、すごい事だとは思いましたが、母校を訪ねた後はもう弓を手に取ることはありませんでした。

結局「的を狙うな」の意味は今でも正確に書くことは出来ません。

しかし、文中に「それ」という言葉がよく出てきます。

矢を射るのも、中てるのも自分ではない「それ」ということのようです。自分以外の存在のようです。

その境地にたどり着かないと、中てることに自分が執着してしまい、鍛えた動作に影響を与える、ということでしょうか。

うーん。やはりシロウト文章では説明が難しいです。

ドイツの哲学者のヘリゲルでも苦悩しましたので当然と言えば当然ですが。

また、こんなくだりもありました。

蜘蛛は舞いながら蠅が巣にかかる事を知らずに巣を張る、蠅は蜘蛛の巣にかかる事を知らずに舞っていて捕らえられるが、自分に何があったかは知らない。この二つを通じて「それ」が舞っている、ということ。蜘蛛の巣が的、蠅が矢ですね。

弓を放つ事自体、自分など主観的な存在がなく、そういう事象が起きているとだけ、とも読めます。

でも、やっぱり実際やってみないと、自分の精神がどのようになるのか、わかりません。

 

普段から何をやるか

顧問の先生に紹介されたエピソードが載っていた本は「弓と禅」という本です。

その本がスティーブ・ジョブズの愛読書だった事は就職してから知りました。

その本についてのブログをiPhoneで書く。

こんな繋がりも、仏教でいう「縁起」ですね。

ジョブズはこの本を通じて禅や瞑想を実践しています。

そもそも仏教における瞑想は、苦悩をなくす事を目的としているのですが、結果として脳の機能を高めることも近年知られています。

おそらく歴史上の偉人になるであろう彼の脳ミソの偉大さは、こういう事からも影響されている、という話はよく聞くところです。

思い返せば、弓を持ち、矢を放って、的に中るまでの間は、高校生ながら丹田での呼吸を整えて、気持ちを落ち着かせようとはしていました。まるで瞑想のようです。

ただ一般生活において弓道や瞑想をせずとも、普段の動作における呼吸、歩みに注意を向けることで、瞑想に近い効果が得られるようです。

呼吸は鼻の穴に空気が入ったり出たりすることへの感覚を感じる、歩みは足の裏に感じる地面の感触を感じる。

これらを日常で意識して過ごしてみようかと思います。何かの効果は得られそうです。

ちなみに、ヘリゲルが稽古を始めて5年後、阿波研造に審査を受けるように勧められ、見事合格しその後、帰国します。

そういう境地に辿り着いたんですね。

 

新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)