すずわん日記

40代でサラリーマンの限界を感じました。これを良い経験として、この後の人生を楽しく豊かに過ごせるように考えたことを書いていきます。

しがらみを捨てれば、どんどんどんどん広がる

僕みたいに、今まで1つの会社にしか勤めていないサラリーマンは、その狭い世界の中での経験の上に、自分の努力や人の助けをちょこっとだけ盛った、ちっぽけな事を武器にして生きています。

そんなサラリーマンは、給料は安定しているでしょうけれど、会社に属している以上、自己の振る舞いや活動範囲は、組織のルールや風土に制限されてしまいます。

でも、だんだんとそれが普通になってきて、その範囲で生きることが「自由」だと思い込んでしまっています。

日本の企業の場合は職務で会社と契約している訳ではないので、勤務時間を売ってお金をもらっているようなモノです。要は自由な時間を売ってお金に変えているのに「自由」だと思い込んでいるんです。変ですよね。

そして、その状態が長年続くと「自由」が何かを考える事も出来なくなり、淡々と年月だけが過ぎていきます。

たま〜に飲み会なんかで、そういう事を話題にすると「考え過ぎだー、気持ちよく飲んで明日もがんばろー!」ってな感じで、また翌朝から同じ一日が始まります。二日酔い付きで。

ところが、いつか本気で仕事がイヤになったり、怪我や病気でダウンしたりすると、初めてそういう固定化された自分の姿を客観的に見る事になります。

ハテ、僕って自由だっけ?今まで自由じゃなかった気がする。そもそも自由ってなんだっけ、ってね。

 

どうやったら自由になれる?

 

自由っていうことを考えてみても、好きな事で食べていく、とか、ぼーっとして過ごす、とかボンヤリしたイメージしか出てこないので、ヒントを探して、前に読んだ仏教の本をもう一度読んでみました。

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今、この一瞬しかない

仏教に「空(くう)」と言う概念があります。普通に考えて、何にも無い、と言う意味合いと解釈しましたが、そうではありませんでした。

実体が無い、と言う意味では同じですが、例えばこのカラダ。たまたま自然界の要素が集まって出来ていて、死んだらいずれ四散します。なので固定された実体はない、と言う意味のようです。

要素があつまっては四散して、また集まって・・・。生きているのは一瞬。一瞬なので執着しても意味が無い。カラダに執着するから苦悩が発生する、と。

行動も一緒です。自分がブログを書いているこの一瞬は、この一瞬でしかありません。過去にも未来にも僕は存在せず、「ここ」にしか僕は存在しません。

今の時点で、会社で苦しかったこと、これから会社に復帰すること、また同じようなサラリーマン生活を過ごす事をクヨクヨと考えていている間も、また次の一瞬が始まっているのです。

そんな事をクヨクヨ考えるくらいならば、そんなものは捨てて、今の一瞬に発生した事、やりたい事を精一杯やりきったほうが苦悩は少なくなります。

これを「空」を実感すること、そして実践する事と言います。

 

人生の関係性は、どんどん広げられる

そしてもう一つ。

「縁起」と言う考え方があります。これは、人間の苦悩がどんな状態で産まれて、どんな状態で解体されるのかの関係性を表したものだそうです。

関係性という意味は、例えば今、目の前にある事や体験している事は、僕の目に見えない様々な条件により発生している、という事です。

現に、僕はこの休み中に悩みながら犬を飼い、ブログを書き始めました。新しい関係性に飛び込んだのです。これがいま、何でもない日常を打破しています。

そういう意味では、精神的に潰れるような仕事を与えてくれた会社だって、犬を飼う事を提案してくれた妻だって、その妻を犬好きにしてくれた実家のポメラニアンのマックだって「縁起」の中の関係性の一つです。

人間は、自分自身が自我などを確立する前に、すでに関係性の中にぶっ込まれているんですって。

考えてみたら、この世に生まれ落ちた瞬間、両親や親戚、周りの人は既に存在します。その人たちはその人たちで、僕の知らないところで笑ったり悩んだり泣いたりしています。その人たちの先にも、僕の知らない網の目のような関係性が繋がっていて、自分がどう思おうと、無限の鎖のように繋がった関係性の中に最初から組み込まれています。

 

であるならば。

 

消極的に現状を維持するよりも、積極的に関係性を求めていくと、鎖をつたって世界は広がるんじゃないかってコト。

 

んで、自由とは?

で、ちょっと回りくどかったですが、「自由」とは。

これは僕の解釈です。

まず、その一瞬に集中して生きます。その一瞬になりきるのです。余計な事は考えません。これを「空」の実践と言います。ただ、そのなりきりにも執着してはいけません。「こうあるべき」と思うから苦悩が増えるのです。なので、今度はそのこだわりや執着を捨てるのです。(なりきる、すてる)

 

また「空」を実践すると、集中した今この一瞬の行動により「縁起」での条件に変化が生じます。なんらかの行動により、日常に新しい関係性の鎖が生まれて、人生が変わってくるんですね。それを自分の物として整えていきます。(ととのえる)

 

日常、ココロの中に次々と浮かんでくる、「執着=とらわれ」をバサバサと切り捨てて、モノゴトに集中して行動すると、あらゆる関係性に変化が現れ、どんどん世界が広がっていく。

 

これが「自由」かな。

 

なりきるすてるととのえる

なりきるすてるととのえる

  • 作者:釈徹宗
  • 出版社:PHP研究所
  • 発売日: 2015年04月02日