すずわん日記

40代でサラリーマンの限界を感じました。これを良い経験として、この後の人生を楽しく豊かに過ごせるように考えたことを書いていきます。

なんちゃって資産運用

ちょくちょく見かける、docomoのdポイントを預けて資産運用体験をするサービスの広告。

僕は感度が良い方では無いので、dポイントはいつも放置しておき、機種交換の足しにするくらいの使い方。

dカードも持っているけれどTポイントカードに比べると「貯める」という意識も無かったです。カードもローソンで思い出した時に出す程度。

まぁ説明を読んでみたら遊び半分。でも預けたポイントは「(株)お金のデザイン」が運用する投資信託に連動して毎日変動するとの事。

「(株)お金のデザイン」は資産運用サービス「THEO」を運用しています。コッチはホンマもんの資産運用サービス。

特徴は「ロボアドバイザー」が投資を診断してくれるんですって。

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AIですね。

 

で。「THEO」は置いていて、リスクもほとんど無いと考えてdポイントを預けてみました。docomoのdアカウントを持っていればカンタンです。

上記のリンク先で「初めての方はこちら」を選択しdアカウントでログイン。後は持っているポイントから何ポイント預けるか、を選ぶだけ。

結果は。

2月21日に2000ポイント預けたら、2107ポイントに増えました〜。2ヶ月くらいかな。

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一時は下落して、1998ポイントまで減った記憶がありましたが、放っておいたら107ポイント増。毎日17時ごろ変動した結果を確認してます。ギャンブルじゃないのでどうでも良いですが、何にもしてないのに増えるのはちょこっと嬉しい^ ^

ロボット兵は留守を守る

最近では2、3ヶ月に一度しか更新しなくなった当ブログですが、放置中も日々誰かにアクセスされています。自分が感知しないところでも読者は訪れてくれて、過去の駄文を読み、何か感じてくれているのかな。もしくは内容にガッカリして去っていくのか。このブログはまるで主人のいない城を一人きりで守るラピュタのロボット兵みたい。

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このブログ、かなり以前には地味〜に一日に100前後のアクセスがあるのは知っていたけれど、今はどうなんだろうとふと思い、はてなブログのアプリからアクセス数を確認してみました。

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おやおや、何にもしていないのに3月5日頃から徐々に増え始め、3月10日には443アクセス。何かあったのでしょうか。

ちなみに今までのアクセスページランキングはこんな感じ。

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在宅ワークかー。

やはりお金に絡む体験談的なネタは、皆さま興味があるのかな。自分的にはそれほど楽しく書いたブログではないので想定外。

だってせいぜい数百円の稼ぎだもの。

それにしても在宅ワークのネタだけで90%って。楽しく書いた他のブログ達が可哀想ww

もふもふモフモフ

ココ。

失明したワンコの名前。

飼い主はココの為に勤めを辞めて洋服屋を開いた。店にはワンコ用の服を置いたので、たくさんのワンコたちが集まってくる。

それでもココはなかなか心をは開かない。

そんなココと暮らす飼い主さんの気持ちの持ちようが素直で心が暖まった。

世界にはもっと不幸な人がいるのに、飼い主はココだけに愛を注ぐ。それでもいいじゃない。難民、貧困にあえぐ人、戦争に巻き込まれた人。世界中には色々な不幸がある。でもこの家族達は、ただただ不幸なココを一生懸命に幸せにしようとしている。

自分は世界中の不幸な人を救えるほどスーパーマンではないし、かといって狭い世界に住んでいる周りの人達ですら救う事が出来ない。

我々人間は考え過ぎだと思う。世界中の色々な人の不幸を考えても話が大き過ぎて結局は何も出来ないんだな。ならばまずは身近な家族の幸せを第一に考えてみようと、改めて思った。

 

番組の最後にココは浜辺の散歩で尻尾を振っていた。

楽しいんだ。家族の気持ちが通ったんだね。

 

 

先入観を大事にしてみる

少し前にテレビのニュースを観ていてら、妻が随分とトガッた意見を言っていた。

ニュースの内容は詳しく思い出せないけれど、国際問題か何かのニュースだったと思う。どこかの国が日本にちょっかいを出しているとかそんな感じだった。

自分としては、どの国にも歴史やら内政上のやむを得ない事情があり、その積み重ねで起きた仕方がない出来事なんだろうな、と結論も出せずにモヤ〜っと思考をしていたら、「あそこの国の人はこうだから、イヤ!」と妻は言った。いわゆる「決めつけている」感じだ。僕が何となく腑に落ちない顔をしていたのだろう。すかさず彼女は「先入観は大事よ!」と、言って笑った。

ニュースやワイドショーを観ていても、自分がその情報の真実を知らない場合は、放送された通りの知識や情報を信じ込む事が多いかもしれない。

逆に真実を知る人、つまり正確な情報を知っている人は、国が出す誤った数字やプロパガンダ的な情報まで見抜くのだろうか。

僕の場合は中途半端。事情を推察して、考えてみて、でも情報が手元に無いものだから結局は答えが出ない。

そんな感じでいつも知らない事をあーだこーだと想像だけをして結論が出ないで思考が停まる。振り返ると消化不良な思考ばかりだ。

それならば感情で判断し、先入観で決めつけて結論を出すのもストレスが溜まらず良いかもしれないと思うようになった。

まぁ、その意見が外に出せるモノか出せないか、という事はあるけれど。でも勉強して間違っていたらすぐに正せばよい。

結論がいつまでも出ず、自分の意見も無い方がなんだか格好悪いと感じた日でした。

こめかみの奥から声がした

会社に復帰して3ヶ月

今だに残業と出張は禁止で、仕事量も上司やリーダーがコントロールをしてくれて、負荷のかからない適度なものを少しずつ下ろしてくれます。

その状況は、仕事で余計な心配を妻にかける事のない環境であり、そういう復職の始まり方に安心もしています。

でも3ヶ月間もそういう仕事っぷりを続けていると当然モノ足りなくなり、周りを見ていてアレをしてみたい、コレは改善しなくちゃならん、と行動したくてウズウズし始めるのです。若い頃から今まで積み上げてきた経験や、勉強をして得た知識がムクムクと頭をもち上げてきて「オマエ、本当はもー行けるんじゃん?何をノロノロしてんだよ」と後押ししてきます。

 

ブレーキがかかる

その反面、いまだにちょくちょくと起こる身体の痺れやら頭痛が怖く、前向きな気持ちにブレーキがかかります。思い切って以前と同じようにアクティブに動く気になれないのです。

そして、一番身近な妻に指摘をされて気づきましたが、何より自分のやる事に自信が持てません。持てなくなってしまった、と言う方が正解かも。

変に動いたら文句を言われるんじゃないか?逆に動かなかったら叱られるのではないか?と、冷静に考えてみると大した事じゃない自分の一挙手一投足に対しても常に不安が頭の中でグルグルと反芻されて、怯えてる自分もいます。

という事で、しばらくの間は積極的な気持ちと、消極的な気持ちの間のギャップに上手く折り合いをつけて、生活をしていくことになりそうです。

 

意味もなく走っていた

先日、Mr.Childrenのアルバム『重力と呼吸』がリリースされたので、久しぶりにCDを買ってみました。

一番最初に流して聴いた時は、昔のような爆発的なヒット曲が含まれていないような印象を受け、なんだか小粒な歌ばかり、、、と少しガッカリしたのですが、それは全く違いました。このアルバムは聴けば聴くほど、ジワジワと感動します。噛んでいると味の出る有様はまるでスルメイカのよう。

Mr.Childrenのボーカル桜井は同年代です。センテンスの合間合間に、この世代だから感じる事の出来る何かがあるのでしょうか。

その中の『皮膚呼吸』という曲。

意味もなく走ってた
いつだって必死だったな
昔の僕を恨めしく懐かしくも思う

でも
皮膚呼吸して 無我夢中で体中に取り入れた
微かな酸素が 今の僕を作ってる そう信じたい

30代の頃は、ただただガムシャラに仕事をして、仕事も面白くて結果も評価もされて、残業も疑問に思わずガンガンして、夜遅くなってから飲みに行ってみんなで大騒ぎして、なんーんていう楽しい時期がありました。

今の仕事っぷりや体調では考えられないです。

でもその頃に頑張った自分がいて、頑張ったからこそ色々なものを吸収して、今の僕がいるんじゃないかと思います。

そして、その長い時間に少しずつ少しずつ夫婦で積み重ねて来た時間は、今の幸せを形成してます。

今までの時間や出会いや経験は貴重な糧です。それらがあるからこそ、自分たちは前にガツガツと進めるパワーがあるはずです。

前に進みたい。

前に進んでいる方が、自分も周りの人間も気持ちがいいもの。

社会に戻る

通勤訓練が終了

約2ヶ月ぶりのブログ更新です。

 

この2ヶ月間は、産業医に指示された通勤訓練を淡々とこなしていました。そして昨日、産業医と月に一度の面談をして復職の許可をもらい、やっと今日から復職です。

 

通勤訓練の間は、どうにもこうにもブログを書く気力が起きませんでした。

文章を書くのは好きだけれども、そもそもブログ書き始めたのは、ウツ症状で混乱している自分の頭の中を整理したり、言外に会社や社会を批判したりと、色々なアウトプットをしたい、という欲求がきっかけでした。でも、通勤訓練をやり始めると、全くそういう要求が起きなくなったのです。

 

時間が溶ける

逆に、産業医から勧められた図書館通いに熱心になってしまい、大昔に途中まで読んで諦めたグイン・サーガや、いつか読もうと思ったけれど手付かずだった山崎豊子の大地の子、白い巨塔などを読み漁っていて、読書にかける時間が増えました。

 

本を読むスピードは元々遅いのですが、冷静に自分を観察してみると、文字を目で追っているうちに違う事を考え始めてしまい、本の内容が全く頭の中入って来ずに何ページかが過ぎてしまい、また前のページに逆戻りをし、何度何度も読み直している癖に気づきました。

こりゃなかなかページが進まないわけです。

そして時間ばかりがかかる。

子供の頃から、おっちょこちょいとか注意力散漫、とか親や担任の先生に散々言われ続けていますが、40も半ばを過ぎても変わらない自分にちょっと呆れます。

 

まぁ、それはそれ。本にかける時間以外では、スマホのゲームで時間を費やしてしまいました。

上記のリンクの文章では、時間が溶ける、なんて表現をされていますが、本当にそうです。

これはやっちゃダメ。ダメだけど面白い。

そんなこんなで、時間を消費しているうちに、あっと言う間に2ヶ月が経ちました。

 

ウツは治ったのかな?

長期休暇は約半年。

振り返ってみると、頭がパニック状態だった始めの頃と、通勤訓練をしたり、その後で復職を果たした今では精神状態が全く違います。

 

休み始め、頭痛や頭の中が真っ白になる状態に加えて、会社との関わりが薄くなったと感じてしまい、会社というガードが外れて社会の中でポツンと漂っている自分がとっても頼りない事に気付き不安でした。

 

もし自分がこのまま会社に属す事が出来なくなったら、組織に頼らず自分の力でお金を稼いで、妻と二人で食べていかなくてはなりません。

そして、会社に属していたとしても、これから今の会社がどうなるかなんて分からないし、定年退職後も、資産の蓄えに加えて自分の力で稼いでいかなくてはならない状況になる可能性も高いです。そういった危機感は今でも変わりません。

 

でも今は、通勤訓練中に出会って「どうしたの、心配してたよー」なんて言ってくれる人達がたくさんいる事に気づき、その人達の元、つまり守られ感満載の会社にまずは戻るんだな、と、シミジミと感じています。

 

危機感を持ち、今までの漫然とした安心感に対して少しだけ認識を改めて社会に復帰する。

そして無理をしない。

これからはそんな日々を目指していきます。

 

みんながいる場所に戻る

折しも、二、三日前に前の職場の後輩からメールがありました。

数年前に彼の親御さんが亡くなられた際、会社側の手続きを調べてやってあげたり、彼のプロジェクトが二進も三進もいかなくなった時に手を貸して、なんとか完遂させてあげた後輩です。

 

その彼が、今また大変なプロジェクトを任されたらしく、今回僕がウツで休んでいると聞き、とっても体調が辛いので産業医に相談をした方がよいでしょうか?という悲鳴にも似た内容のメールを送ってきました。誰にも相談出来ないので、僕に相談したい、との事。

 

その後輩に対しては、それはおそらく病気なのだから、早急に病院に行って休みなさい、そして決してもう少し頑張ってみます、なんて絶対に口にしない事。個人事業主なら休んだら大変だけど、サラリーマンの会社の仕事なんて、誰かが代わりにやるから絶対に大丈夫。まずは健康ではない状態を作り出す状況から離れて、とアドバイスをしました。

 

そんな内容のメールを返信した後に、今まで大した事をしていないと思っていた自分が、実は気づかないうちに誰かに感謝されるような事をしていて、そしていざという時には頼る相手として認識されていた事に、少し驚いています。

 

ウツで落ち込んだ時はそこにいる事さえ嫌だったけれども、それでもそこには助けたり助けられたりする仲間がいました。復職する事はそういう場所に戻るんだ、と考えると今は苦ではありません。

そして、支えてくれたのは妻。自分の仕事も大変なのに、全力でサポートしてくれました。

もし独り身だったらどうなってしまったんだろう、と考えると空恐ろしくなります。それほど大きな力になってくれました。

感謝感謝。。。

 

今日から、何となく厳しい社会から防波堤のように守ってくれているけれど、その防波堤の内側も何となく油断のならないサラリーマン生活に戻っていきます。

 

ひとまず、長かった大人の春休みと夏休みはおしまい。

アリとキリギリスとサラリーマン

会社の帰りのバスの中、窓に張り付いてウロウロしているアリを見つけました。

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動物の行動には何かしら理由がある、と聞いたことがありますが、この子はどう見てもサラリーマンの靴やスーツの裾にすがって間違ってバスに乗ってしまったか、風に吹かれて飛んできたかのどちらかにしか見えません。

人間も、何かを目標として行動し、努力をして何かを達成する人よりは、大きな目標など無く決められた仕事を黙々とやっているうちに、アリが風に飛ばされるように就職、異動、倒産、失敗など様々な要因で、気づいてみたら今の生活を送っている人の方が多いのでは、と思います。

人生の目標を持ち、その為の努力をして大金持ちになったり、世界一周をしたり、スポーツでスーパースターになるなんて、そうそういません。大抵の人は家族を守る為に必死で努力して頑張ります。

でも、それで良いんじゃないかと思います。アリだって女王アリや巣を守る為に、食料を運んだり、外敵から仲間を守ったり生物としての生活を本能で淡々と続けて、種を守り死んでいきます。

哲学やら宗教やらを発明している人間と、その他の生物を一緒に論じる事は出来ませんが、でも生き物である事は一緒。何も考えずに周りに流されて過ごしていく事も、楽で幸せだったりもします。

加えて人間の場合、そんな生活の中でお酒を飲んだり、スポーツをしたり、人と会って話をしたり、生きる目的以外の事、つまりアリとキリギリスのキリギリスのような事をスパイスとして生活の中にチョコチョコとふりかけて、ストレスを発散しています。

日々の生活を積み上げる中で、自分を楽にする妥協点を見つけ、息抜きをしながら健康に生きていくこと。これが完全な自由ではないですが、自分と家族や周りを幸せにしていく事なのかな、なんて思います。

ふと、あのバスの中で会ったアリんこは、今頃どうしてるんだろう、と少し心配になりました。

でも、もしかしたら意外と集団生活の息苦しさから抜け出して、ストレス無く自由に1匹で好き勝手な事をして生を全うするのかな、何て想像もしてみました。それは人間ではなかなか出来ない人生です。